歴史 熊野町で筆づくりが始まったきっかけは何ですか?
熊野の人々は、その昔、農業で主にくらしを立てていました。しかし、小さな盆地で農地がせまく、農業がひまな時には奈良県(吉野地方)、和歌山県(紀州地方)に出かせぎに行く人が多くいました。
そこで得たお金で、奈良地方で筆や墨を買い入れて、それを途中の町や村で売りながら熊野に帰ってきていました。
このようなことがくり返されているうちに、天保5(1834)年、佐々木為次(ささき・ためじ)という若者が、兵庫県(摂津の国)有馬に行き、そこで4年間筆づくりを学び、天保9(1838)年熊野に帰ってきました。
また弘化3(1846)年、井上治平(いのうえ・じへい)という若者は浅野藩(広島)につかえる筆司(ふでし)から筆づくりを学びました。
さらに同じころ、乙丸常太(おとまる・つねた)という若者も兵庫県有馬で筆づくりを学び熊野に帰ってきました。
村に帰った彼らは、熱心に村人に教えました。彼らの熱心さと、村人の努力によって筆づくりは、熊野で広がって行きました。
※「筆司」とは、筆づくりの仕事をしている人。