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熊野町を歩いてみよう!~自然散策コース~


熊野町を歩いてみよう!
  自然散策コース  
所要時間約60分

ふでのさとこうぼうしゅうへんず
筆の里工房・坂面大池からゆるぎ岩まで約1kmの山道で、往復約60分の自然散策コースです。
ゆるぎ岩のふもとまでは舗装済みですが、ふもとからは傾斜の急な舗装のない山道に変わりますので、足元に十分ご注意ください。
ゆるぎ岩のふもとまでは車で行くことも可能です。


ルート

1.筆の里工房→2.坂面大池/石碑→3.ゆるぎ岩/ゆるぎ観音/磨崖仏→1.筆の里工房
ゆるぎいわふもと
▲ゆるぎ岩入口の様子
まがいぶつ
▲全部で36体ある磨崖仏

1.筆の里工房

 筆の里工房は平成6年9月にオープンしました。筆の歴史をはじめとして,筆から生まれる美術・工芸・遊びなど,筆の広がりの世界を見て・触れて・体験できる施設です。平成10年には秋篠宮御夫妻が,平成16年には小泉元首相が来館されたこともあります。
 常設展示では長さ3.7メートル,重さ400キロを超える世界一の大筆が展示してあるほか,熊野の旧家を再現したセットの中で伝統工芸士による筆づくりの作業を見ることができます。また,ここでは実際に筆づくり体験をすることもでき,予約しておけば筆の軸に自分の名前を彫ってもらえます。
 他にも,企画展示で芸能人の片岡鶴太郎や石坂浩二などの作品展示を行ったこともあります。
 また,エントランスホールには,毛筆,画筆,化粧筆が特価で購入できる「ドットコムショップ」があり,工房を訪れた人々に人気です。
ふでのさとこうぼう

2.坂面大池(さかづらおおいけ)/石碑

「坂面大池」
 筆の里工房横のこの池は、天和3年(1683)2月、潅漑用として農民たちが、鍬・鎌・大工道具を用いて作られたという記録が残っています。大正14年に拡張工事を行い、広さ約1ヘクタールの池になり、平成に入って再度整備されて現在にいたっています。
 そもそも熊野町は気候が瀬戸内海式気候で、年降水量が少なく、また大きな河川も無く、水に乏しい盆地です。そのため、稲作中心の農家では水の確保がとりわけ大切で、この熊野に溜池が多いのもそのためです。溜池は熊野の農業の生命線であるといえます。この坂面大池は、かつては熊野の水泳場としても親しまれていました。

「石碑」
 池の周りにたっている石碑は、毎年9月23日に行われる「筆まつり」の日に、有名な書家の先生が大書を書かれたものを石碑として刻んで残しているものです。毎年1基づつ増えていきますが、坂面大池を一周するのに何年かかるのか、計算してみるのも面白いかもしれません。
さかずらおおいけしゃしん
▲坂面大池
たいさくせきしょのせきひ
▲石碑

3.ゆるぎ岩/ゆるぎ観音/磨崖仏(まがいぶつ)

「ゆるぎ岩」
 ゆるぎ岩は、この地域一帯を指す「ゆるぎ観音」の語源ともなっている岩です。長さ5尺(約150cm)、高さ7尺(約210cm)の大岩で、微妙なバランスで重なっている岩です。その岩は善人がゆすると動くと伝えられています。さて、あなたには動かせるでしょうか。

「ゆるぎ観音」

 ゆるぎ岩から10mほど上ったところにある「杉松山観音堂」を、地元では通称「ゆるぎ観音」と呼び親しんでいます。いつ頃から信仰されていたかは不明ですが、正徳5年(1715)の「安芸郡神社仏閣古城控」にも記されているので、今から300年以上前から信仰されていたことが分かります。
 言い伝えによると、『その昔、水木嘉右衛門(みずきかえもん)という人物が、長い間眼病で苦しんでいましたが、慶応元年(1865)、以前から信仰を集めていたゆるぎ観音の傍に湧き出る霊泉で、3日3晩、目を洗いながら必死で祈願したところ、全快した。』といわれています。その噂が広まり、村人の信仰を集めて慶応2年4月に、観音堂が建てられました。これより前にも、ゆるぎ岩から10mほど上った所にある石の上に御本尊が安置されていましたが、昭和28年の台風により流出してしまいました。ちなみに、現在の観音堂は昭和36年(1961)に再建されたものです。建立当時は3月3日が例祭日でしたが、現在では毎月18日の午前11~12時半まで「観音祭」が開かれています。

「磨崖仏」

 傷の癒えた水木嘉右衛門の発願で、四国の33観音にならい、明治初期(1868)から年に一体ずつを目標に刻まれ、番外の3体を加え現在の36体となったのは大正3年でした
ゆるぎいわ
▲ゆるぎ岩
まがいぶつ
▲磨崖仏

関連情報

このページに関するお問い合わせ

熊野町総務部 地域振興課
TEL/082-820-5602   FAX/082-854-8009
E-mail/kanko@town.kumano.hiroshima.jp