世界陸上選手権大阪大会男子マラソン日本代表 尾方剛さん(熊野町出身・中国電力)
~挑戦~
世界陸上選手権大阪大会男子マラソン日本代表
(平成19年8月25日(土曜日)午前7時スタート)
尾方剛さん(熊野町出身・中国電力)
~世界陸上ヘルシンキ大会男子マラソン銅メダリスト~
自分自身の夢である「マラソンでオリンピック出場」をかなえるために、日々精進しています。
大阪から北京へ
「北京五輪でのメダル獲得」、常にそれを目標に挑戦し続けている尾方さん。
平成17年夏、感動をくれた世界陸上ヘルシンキ大会の銅メダル獲得。3大会連続出場となる今回の世界陸上選手権大阪大会。この大会でメダルを獲得し日本人トップなら、北京オリンピックの代表権獲得となります。
北京五輪でメダル獲得という大きな夢に向かって、再び世界の舞台で挑戦します。
7月11日(水)、熊野中学校で行われた「激励会」に訪れた、尾方さんにインタビューしました。
出るからにはメダルを獲りたい
―世界陸上選手権大阪大会の男子マラソン日本代表として、パリ、ヘルシンキに続き3大会連続で世界陸上選手権に出場することになりますね。
尾方 出るからにはメダルを獲りたいですね。メダルの色については運もあるんですが、最低でもメダルは欲しいです。メダルを獲れば北京五輪に向けて1年間かけて準備できます。暑い中のレースで、リスクもあるので、一発で北京五輪行きを決めたいですね。
プロ野球の選手になりたかったんです
―華々しい活躍を続けている陸上はいつ頃から始めたのですか。
尾方 小学校の時は、陸上をやろうという気はなかったんです。小学校時代はソフトボールのスポーツ少年団に所属していて、プロ野球の選手になりたかったですね。でも、中学生になって、個人で表彰されることのない野球よりも個人表彰のある陸上に自分が向いていると感じました。
走っていて楽しかった
―中学入学と同時に陸上をはじめられて以来、中学、高校時代数々の活躍をされましたね。
尾方 走るたびに自己新記録が出る感じでした。走っていて楽しかったんです。今振り返れば、本当に順調だったですね。全日本中学校陸上競技選手権大会に出場できなかったことだけは、今でも悔しいです。
人生の敗者になりたくなかった
―山梨学院大学2年生の時には、箱根駅伝でチームのアンカーとして区 間1位の快走、チームの優勝に貢献するなど、順調に陸上の世界の階 段を駆け上がりました。でもその影では、注目されることのストレスとプレッシャーから全身脱毛症になり、走れなくなった時期もあったと聞きましたが。
尾方 当時はほんとに苦しかったですが、走ることをやめたいとは思わなかったんです。ここで逃げたら自分自身が駄目になってしまう。人生の敗者にはなりたくなかったですね。このときの経験があるから、今があるんです。
個人での表彰台うれしかったですね
―平成17年世界陸上選手権ヘルシンキ大会で銅メダルを獲得してから、メダリストの仲間入りですね。
尾方 パリは、全く初めての世界大会。レース展開もわからず、自分の力が出し切れずもどかしい思いをしました。この経験がヘルシンキで大きな力となりました。レース展開がわかったし、自分の走りをすればメダルは獲れると思っていました。やっぱり、個人で表彰台にあがれることは、うれしかったですね。
熊野は原点の地
―熊野で育った尾方さんにとって、熊野はどんな場所なのですか。
尾方 小さい時を過ごしたので、故郷だと思っています。陸上をはじめた地でもあり自分の原点の地ですね。
夢をもつことが大切なんです
―熊野町は陸上の町です。尾方さんを目指す子どもたちがたくさんいます。そんな子どもたちへメッセージをお願いします。
尾方 自分の夢を持つことが大切なんです。何事も夢を持って、それに向かってあきらめずに努力していくことが重要です。
大阪大会に集中
―今後の目標は。
尾方 目標は北京五輪出場です。でも、今は大阪大会だけを考え、すべてをかけています。まずは大阪でメダルを獲りたいです。応援よろしくお願いします。
熊野中学校での激励会で子どもたちの質問に真剣にわかりやすく答える姿と取材から、不屈の精神力の源と地道な努力と練習に裏付けされた自信、常に新たな目標を持ち、自分の経験を生かし挑戦し続ける姿が、熊野の子どもたちの夢と希望を与えるのだと感じました。
尾方さんの挑戦は大阪から北京へと続きます。
陸上の町「熊野」の誇る、日本のトップランナーをみんなで応援しましょう。
尾方剛は勝負強い男
中学、高校時代の恩師である、熊野中学校中田一吉教頭に聞きました。
「尾方は、昔から何をやっても勝負強かった。最近はそれにねちっこさ(粘り強さ)が加わった。大阪でもやってくれるでしょう。」
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【尾方剛(おがたつよし)さん】
1973年5月11日生まれ。熊野中学校で陸上をはじめ、熊野高校時代の1991年に国体少年A10,000メートルで2位入賞。山梨学院大学2年の時、箱根駅伝優勝チームのアンカーとして区間1位の活躍で優勝に貢献。2003年の世界陸上パリ大会に日本代表選手として出場し、団体金メダルを獲得。2004年12月の福岡国際マラソンで初優勝。2005年世界陸上ヘルシンキ大会に日本代表選手として出場し、個人銅メダル、団体金メダルを獲得。
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